水底フェスタ(辻村深月)の書評・感想

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水底フェスタ [kindle版]

http://blacknightgo.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

舞台は、睦ツ代村という、ロックと織物の村。
睦ツ代村では毎年、日本五大フェスの一つ、ムツシロ・ロック・フェスティバル、通称ムツシロックが開催される。広大な敷地のあちこちに会場が散らばり、元ゴルフ場だった場所にテントを張ってオールナイトのイベントにも参加できる。このムツシロックのお陰で睦ツ代村はかなり裕福で、平成の大合併の際にも、周辺の自治体からの合併要請をはねのけ、今でも村として存続している。
高校生の湧谷広海は、そんな睦シ代村の現村長・飛雄の息子だ。
広海は、睦ツ代村でほぼ唯一、ムツシロックの価値を知っている人間だ。ムツシロックを睦ツ代に誘致した全村長も、そして村の住人のほとんども、ムツシロックがいかに価値のあるイベントであるのか理解していない。それは、広海の幼なじみである門音と市村も同じだ。広海の後をついてムツシロックまで来るものの、その価値を理解しているわけではない。睦ツ代村でムツシロックの価値を理解できているのは、広海と、現村長で父である飛雄ぐらいのものだ。穏やかで村長らしからぬ飛雄とは、音楽の趣味を通じて繋がっている。
そしてもう一人、ムツシロックの価値を共有できる人物がいる。
ムツシロックの夜、広海はフェスの会場で、織場由貴美の姿を見かけた。
織場由貴美は、睦ツ代村出身の女優だ。知名度はそれほど高いわけではない。それでも、人目を惹く容姿は圧倒的だ。幸いその夜は、由貴美の存在に気づいたものはほとんどいなかったようだ。プライベートで来ているのだろうから、気づかれたくないだろう。
しかしフェスの夜から由貴美は、かつて自分が住んでいた、荒廃したボロ家に住み始めた。由貴美は既に両親を亡くしている。由貴美はただでさ、中学卒業と同時に村を出て、村の人間からよく思われていなかったが、母の葬式の際の態度で、また村中を敵に回すことになった。今村に居着いても、由貴美の味方はほとんどいないと言っていいだろう。
何故由貴美は、狭い社会特有の好奇心から自分が住む家の周囲を取り囲まれるようなことになっても、何故村にとどまり続けているのか。
それは、ちょっとした偶然だった。夏休みの最後を、小さな集落を水没させて作られた水根湖のほとりでゆったり過ごそうと思った広海は、そこで泣いている由貴美と出会ってしまった。
出会ってしまった。
広海は由貴美に言われた。
「村を売る手伝いをしてくれない?」

というような話です。
いやー、これは良かったです!こういう陳腐な表現は僕はあんまり好きじゃないんだけど、でもこれは、辻村深月の新境地と表現してもいいのではないかという感じがしました。これまでの辻村作品の良さを継承しつつ、新しいステージにたどり着いている。そういう印象を強く受けました。
まずはじめにどうしても書いておきたいことがある。あくまでこれから書くことはすべて僕の憶測で、まったくそういう意図はなかったりするのかもしれないけども。
僕は昔から、辻村作品に対してはこういう感想を常に抱いていた。
『子供の世界を書くのは巧いけど、大人の世界を書くのはそれほどでもない』
本作を読んだことで、この表現を訂正しなくてはいけないだろう、と思いました。
辻村深月は、子供を描くのが巧い、というのは正しいのだけど、それをもっと正確に捉えれば、『閉じ込められている感』を描くのが抜群に巧い、ということなんだと思います。子供の世界というのは本当に閉じている

感想

辻村作品は割とどれもそうだと思いますが、読む人によって違う姿を見せる万華鏡のような物語ではないか、と思っています。本書も、どういう生い立ちの人が読むかによって、また感じ方が大きく変わるような気がします。僕は、本書で描かれるような強烈なムラ社会の経験はないのですが、そういう経験のある人が読んだらどう感じるのか、非常に気になります。もちろん、誰が読んでも楽しめる作品だと思います。是非読んでみてください。

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