言壺(神林長平)の書評・感想

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言壺 (ハヤカワ文庫JA)

本書は、「言葉」に空想の翼を与え、「言葉」というものの危険性や可能性を最大限に夢想した、9つの短編が収録された作品です
物語の中には、ベースとなる基本的なモノが存在する。それが、「ワーカム」と呼ばれる万能著述支援用マシンだ。「ワーカム」は、著述者が書いてきた文章などから著述者の思考を読み、それを先回りし、整理し、より洗練させることで、著述者の著述行動を全面的に支援するマシンだ
これはなかなか素晴らしい作品でした。徹底的に「言葉」というものを突き詰めて考えている。僕らは言葉というものを、特に意識することなく、まるで空気のような存在として扱っているだろう。どこからやってきたのか、何故その言葉はそういう意味なのか、言葉の本質とはどこにあるのか、何故言葉は「聞く」と「見る」がメインなのか…などなど、そういう疑問を抱くことはきっとほとんどないはずだ。ごく普通の人にとっては、言葉は「あって当たり前」のものであるし、繰り返すけどまさに空気のようなものなので、普段その存在を意識することは非常に少ないはずだ
しかし、言葉というのはなかなか不思議なものだと思う。日常的にそんなことを考えているわけではないのだけど、僕は時々そんな風に考えることがある
本書は「言葉」を扱った作品であり、さらに「ワーカム」と呼ばれる著述支援マシンが登場するために、作家や創作者が物語の中心にいることが多い。そのため、「書くということ」「物語を生み出すということ」についての思索はやはり多い。「ワーカム」という著述支援マシンが登場することで、「書く」という行為はどのように変化したのか、「物語」の役割はどんな風に拡張したのか、という部分が、まずは中核として描かれることが多い
それらの物語も、非常に面白い
しかし僕は、そうではないタイプの物語の方がより面白いと感じた。そうではないタイプの物語では主に何が描かれるかというと、「言葉そのもの」が描かれていることが多いように思う
「言葉」とは一体何なのか
日常的に言葉を使っている僕らからすれば、言葉というのは情報伝達の手段でしかないかもしれない。
でも本書を読むと、「言葉」の本質はそれだけなのだろうか?他にももっと違った機能が搭載されているのではないか、という疑いを抱くようになるのではないかと思う
例えば本書の中では、「言葉によるウイルス」という話が出てくる。これは、原理的にはきちんと理解できているわけではないのだけど、読んでいると、なるほどそういうものの存在も許容されるかもしれないと思わせる作品に仕上がっている。ウイルスは、生物学的に言うと、生物と無生物のあいだに属する、ちょっと特殊な存在だ。定義次第で、生きているとも言えるし、生きていないとも言える。同じことが、言葉に対しても言える可能性がある。僕らの常識からすれば、明らかに「言葉」は生きていないだろう。でも、もしウイルスを「生きている」と定義するのであれば、同じ定義の方法で、言葉も「生きている」と定義出来る可能性があるのではないか?そんな風に思わされた
また本書の中で、お金と言葉を比較する文章が出てくる場面がある

『金も幻想だよ。ただの紙切れにすぎないのに、勝ち幻想を皆が共有することで、仮想世界が成り立っている。言葉も同じだ。ヒトは言葉を持ったときから幻想空間で生きるようになったんだ』

これは非常に面白いと思う。そう、まずお金は幻想だ。「1万円札」はただの紙切れだが、しかし皆がそれに価値があると信じ、皆が信頼している存在(=政府)がその価値を保証することで、「1万円札」は貨幣としての価値を持つ

感想

言葉というものは、僕ら人間が意識している以上の可能性を持つ、つまりただの情報伝達のための手段だけではない、ということを示唆するのではないか。本書は、「示唆するのではないか」という、まだ人間が意識できない部分を、物語として紡ぐことで可能性を提示した。その見事な創造性によって、「言葉」という存在が拡張されていく有り様を、読者は知ることが出来るだろう。
僕らが日常的に何気なく使っていて、意識することのない「言葉」という存在。それが実は不思議な可能性を持つかもしれない、僕らが意識出来ないだけでもっと広がりを持った存在なのかもしれない、と思わせてくれる作品です。この作品が、1990年前後に描かれていた、ということは、やはり驚愕に値するでしょう。是非読んでみてください。

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