俳句いきなり入門(千野帽子)の書評・感想

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俳句いきなり入門 (NHK出版新書 383)

内容に入ろうと思います。
本書は、「まったくの俳句未経験者、あるいは「俳句って年寄り臭い趣味でしょ」と思いこんでいる人、つまり俳句の「外」の人を読者に想定している」と著者が書くように、まったくの初心者がどうやって俳句の世界に足を踏み入れていけばいいのかという、超実践的な作品。
本書は、俳句未経験者が持つ「俳句へのイメージ」を、様々な形でぶった切って行く作品だ。
僕は俳句について強いイメージを持っていたわけではないのだけど、「俳句って自分の言いたいことを短く表現するものだよなー」ぐらいの漠然とした感覚はあった。
しかし、著者はまずこのイメージを粉砕する。

『言いたいことがあるときには俳句なんか書くな』

『俳句では自分より言葉の方が偉い』

『「俳句は文学である、自己を表現するものである」という国語の授業的な思いこみは、「自分」というちっぽけな器のなかに自分の俳句を囲いこんでしまう枷にしかならない。「自分」の外側にある言葉は無限なのに』

いかがだろうか。まずこの時点で、相当印象は変わるのではないだろうか。実際に本書を読んでみると、かなり納得感がある。特に、「「自分」の外側にある言葉は無限」という言い方には、なるほどと思わされた。自分の内側にある思いや感覚や言葉には、どうしても限界がある。そこから何かを掬いあげたところで、結局それは狭い表現にしかならない。だったら、自分の外側にある言葉にアプローチする方が面白いじゃん、と著者は書く。
自分の言いたいことを書かないのであれば一体何を書くのか。著者は、「俳句とはモノボケだ」と書いている。言葉を使ったモノボケなのだ。俳句とは年寄り臭い趣味ではなく、「季語」と「それ以外」という二枚のディスクをつなぐDJなのだ、と著者は言う。気持ちを言葉に乗せるのではなく、言葉の面白い組み合わせ、以外な相互作用、不可解な言語的飛躍、そうしたものを目指す高度な言語ゲームなのだ、と著者は言うのだ。
こう言われると、俳句というものへのイメージが結構変わるのではないだろうか。僕は、結構変わった。実作するとしたらまだまだハードルは高そうな気はするけど、「自分の言いたいことを言うわけではない」「言葉の面白い組み合わせを目指せ」なんて言う風に言われるだけで、俳句が全然違うものに見えてくるから不思議だ。
さらに本書では、「俳句を作る」ことよりも、「他人の俳句を読んで評価する」ことの方が圧倒的に大事で面白い、と書く。それを踏まえて著者は、一作も作らなくたって句会は開けるのだ、という主張までしてしまう。

『俳句なんか一句も作ったことがない、まったくの初心者だけでも、これからお読みいただく方法なら、句会を開くことができる。一句も作らずに』

『「句を出すこと」が句会の参加条件ではない。「他人の句を読んで投票し、句評すること」が句会の参加条件だ』

これは非常に斬新な発想だなと思った。まさか一句も作らずに句会が開けるとは(実際本書に書かれている方法をそのまま踏襲すれば、今すぐにでも誰にでも句会を開くことが出来るだろう)。句会は、作句が重要なのではなく、選んで評価することが重要なのだという主張も、本書を読むと納得出来る。それは、著者のこんな考え方が背景にあるからだ。

『自分の句にどんな意味があるかは、句会にならなければわからない。句会になればわかる。意味は他人が作ってくれる』

感想

本書では後半で、実際に俳句を作る際の技術的なルールについてかなり細かく描いてくれるのだけど、その部分は是非本を買って読んでみてください。本書は、なにはともあれこの前半部の、俳句というものに対して多くの人が抱いているだろうイメージを粉砕する、という機能が非常に面白いと感じました。本書を読んだら、ポーンと素晴らしい俳句が書けるようになる…かどうかは人それぞれでしょうが、少なくとも、著者が「ポエマー」と呼ぶ、ちょっとイタい俳句を作る人にはならずに済むんじゃないかな、と思います。本書で書かれていることは、俳壇的な人たちからすれば噴飯物なのかもしれないけど、僕自身はとても面白いと思ったし、なるほどそんな風に考えていいんだ、と思えたので、俳句に興味を持つことが出来ました。僕も断然初心者(ってか、作ったことない)ですけど、誰か句会やりましょう(笑)。是非読んでみてください。

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