眠りの庭(千早茜)の書評・感想

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眠りの庭 (単行本)

「自分」なんて、さっさとなくなっちゃえばいいのに、と思うことはある。昔は、よくそんなことを考えていたような気がする。最近は、そこまでちゃんと意識に上ることはないけど、自分の土台にちゃんと根を張っているような感覚はある。
僕は、自分の意志を持って、自分の希望を持って、自分の展望を持って、この世の中を疾走出来る人って、本当に凄いと思う。そこまで強い名前がつくようなものでなくてもいい。自分が進むべき道を、自分が進みたいと思う道を、ぼんやりとでも漠然とでもなんとなくでも、頭の中で思い描ける人はいいなと思う。
僕には、そんなものが全然ない。進みたい場所も、たどり着きたい場所も、何もない。なんというか、どうでもいい。漂流しているような感覚で、とりあえずどこに向かっていようとも、いや、たとえそれが同じところをグルグル回っているだけだって、まあいいやという感覚でいる。大した問題ではない。
そのくせ、「自分」というものはきちんと存在しているから、厄介で仕方がない。
もっと人形のように何も感じずに生きられればいいのに。辛さや悲しみだけではなく、喜びや楽しさも感じられなくなっても、まあいいかもしれない。どうせ、意志などとうにない。だったら、「自分」そのものも、さっさと薄れてくれたらいいのに、と思う。
失うものがあるから、恐いと思うし悲しいと思うし辛いと思う。大事なものが視界に入るから、心を乱される。なんか、そういうの、もういいや、って思ってしまうことがある。時々。何かと繋がっていればいるほど、その繋がりのどこかがちょっとよじれただけで、自分も引っ張られて痛みを感じる。そういうのは、もういいんじゃないか。
何もかもスパッと捨てることが出来たら爽快だろうなと思う。でも、そんなこと、自分には出来ないことも知っている。結局、あるものは、引き剥がされない限り、手放すことは出来ない。

『だって、暴力なら拒めばいい。でも、愛されたら、受け入れるしかないですよね』

千早茜が描く世界には、手の届く範囲の社会との繋がりさえも失った人間たちが描かれるような印象がある。自ら選択しているのか、流されているだけなのか、それは様々だろうけど、自分と世界とを隔てる分厚い壁の存在を、常に意識している人間たちがいるように思う。

『学校という場所は切り離された空間だと思う。時間割と区切られた時間、個性を消す制服、外界から遮断するための柵と門、独自のルール、守られているのか縛られているのかわからないその中で毎日同じことが繰り返される。
何のために?それがわからなくて学生の頃の俺は学校がキラだった。けれど、その単調さの中に改めて身を浸してみると、ひとつだけわかったことがあった。
緩やかな縛りは人を安心させる。決められたことに従っていれば、身のうちから湧きあがってくるものを見ないふりできる。枠から出てこない限りは。
だから、あの頃は発情期の猿みたいな奇声をあげて馬鹿をやっていられたわけだ。俺は男子校だったけれど、男も女も変わらないな、とここに来て思った。青春時代なんて狭い箱の中で必死に暇つぶしをしているだけのものだ』

独りの世界の中に、時折、独りがするりと入り込んでくる。普段は固く閉ざされている扉が、何故かスッと開いてしまう。そんな相手との邂逅に戸惑いながら、この物語は進んでいく。濃密な独りの世界が打ち破られ、弾け、世界の形が歪められ、一人の人間のあり方を変容させてしまう。そんな、恐ろしくも魅惑的な強い出会い。

感想

僕は正直この作品は、物語としては巧く捉えることが出来なかったと思う。ただ、作品の雰囲気が、とても好きだ。異端に籠もる人物たちが発する独特の雰囲気が化学反応を起こし、小規模な爆発を何度も繰り返す。トゲトゲしたものを隠し切れない不器用な人間たちが、同じ種類の人間と出会うことで見せるちょっとした隙。そういう全体の雰囲気が、僕にはとても合っている。「アカイツタ」に出てくる主要な人物たちには、大抵どこか惹かれる部分がある。その後ろ暗さや、裡に秘めた黒さみたいなものに、なんだか惹かれる。そういう強さが魅力的な作品だと僕は思います。読んでみてください。

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