「認められたい」の正体とは?「自己意識の自由」という精神のあり方

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「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)

「『空虚な承認ゲーム』をどう抜け出すか。その『答え』ならぬ『考え方』を教える本書は、規範喪失の時代における希望の書である」。現代社会に蔓延する承認の問題を真正面から捉えた注目書をまとめました。

「認められたい」の正体

社会共通の価値観とコミュニケーション

  • 社会共通の価値観が崩れれば、「価値ある行為」によって承認を得る道が見えなくなり、強い承認の不安とニヒリズムが生み出される。その結果、身近な人間の承認を維持するために、かつてないほどコミュニケーションが重要な意味を帯びて来たのである。

空虚な承認ゲーム

  • 求められているのは「自分は価値のある人間だ」という証であり、その確証を得て安心したいがために、身近な人々の承認を絶えず気にかけ、身近でない人々の価値をおとしめようとする。見知らぬ他者を排除することで、自らの存在価値を保持しようとする。たとえそれが悪いことだと薄々気付いていても、仲間から自分が排除されることへの不安があるため、それは容易にはやめられない。そして底なしの「空虚な承認ゲーム」にはまってしまうのだ。

他者の承認はその対象によって三つに分けられる。

  ①家族、恋人、親友など、愛と信頼の関係にある人間(親和的他者)による親和的承認。これは「ありのままの私」への存在そのものへの承認である。
  ②所属集団で役割関係にある人々(集団的他者)による集団的承認
  ③他者一般の表象(一般的他者)を想定することで得られる一般的承認。

「自己意識の自由」という精神のあり方

  • ヘーゲルは『精神現象学』のなかで、「自己意識の自由」という精神のあり方について述べているが、これはこうした「自己中心的な自己承認」にかなり近いものであり、この精神は「ストア主義」「スケプチシズム」「不幸の意識」の三つに分けられる。 これらの精神のあり方は、自分の頭のなかだけで「自分は正しい」「自分だけは真実を知っている」と思い込み、自己価値を確保する方法にほかならない。

「ストア主義」

それは自分を抑制して独自性を維持しようとするあり方であり、他人の意見にかかわらず、自分は自分だと言い聞かせている。自分だけの世界に閉じこもり、他者の評価がどうであろうと、自分の存在価値を自分自身で認めて納得している。

スケプチシズム

  • それは、あれこれと他人の批判ばかりをして、自分だけはわかっている、自分だけは特別だ、と思い込んでいるあり方。それは懐疑主義的でシニカルな態度をとりやすい。

「不幸の意識」

  • それは理想的な観念にしがみつくことで自分の価値を高めようとするあり方。これは宗教や政治的イデオロギーを信奉し、われこそは正義だと叫び続ける人などが典型であろう。

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