下着はなぜ卑猥なのか。スカートの下の劇場。

26236viewsvioletReadervioletReader

このエントリーをはてなブックマークに追加
スカートの下の劇場 (河出文庫)

人はどうしてパンティにこだわるのか?
なぜ性器を隠すのか?
女はどういう基準でパンティを選ぶのか?
セックス・アピールかナルシシズムか?
女と男のナルシシズムはどう違うのか?
女と男の非対称性に深く立ち入り、セクシュアリティの本質を下着の歴史を通してあざやかに描ききって大きな反響をひきおこした本の中から、まとめてみました。

下着はなぜ卑猥なのか。

下着はなぜ卑猥なのか。スカートの下の劇場。

  • ここでは猥褻なのは、現実ではなくて、妄想のほうです。言いかえると、猥褻なのは心理であって肉体ではないのです。現実よりも想像のほうが猥褻であり、肉体よりも心理のほうがつねに猥褻です。

現実より想像の方が豊か

  • 女たちのパンティとそれに対する男たちのファンタジーは、ただそれによって隠されたものへの想像をかきたてるためにだけ、あるように見える。パンティ姿のオンパレードは、女たちのカントのカタログより、もっと猥褻でセクシーなことだろう。なぜなら、現実より想像の方がいつでも豊かだから。だから下着フェティシズムの男は、盗んできた下着が包んでいたはずの現実の女のボディより、ほんとうを言うと下着そのものの方を――その下着がかきたてる彼自身の妄想の方を――もっと愛しているのだ。

欧米は肉体的。日本は心理的。

  • 一つの解釈としては、欧米のハード・ポルノグラフィでは、性的な交渉とか性器そのものを即物的に剥き出しにしますから肉体を物質視していますが。それに対して、日本のポルノグラフィの猥褻さというのは、男の性的な妄想を増幅することによって生じるのではないかと思えます。

レズビアンは、ヘテロセクシュアル(異性愛者)の副産物じゃないか?

  • ですから私の仮説は、レズビアンの人はこれを言うと怒りますけれども、レズビアニズムはヘテロセクシュアル・ワールドの副産物である。だからヘテロセクシュアル・ワールドが存続するあいだしか続かない、つまりレズビアニズムはカウンター・イデオロギーだ、ということになります。つまりレズビアニズムは時代的なイデオロギーだ、社会がヘテロセクシュアルに編成されきったときに、それへの反動として生じた歴史の産物だ、だから時代が変われば変わる、と思っているのです。

根っこを癒せるのは男

  • たとえば親しい女友だちが非常に悲しんでいるとき、私が彼女をどんなに抱きしめて慰めてあげても、女だというだけで彼女の核心に届かないというときに、マラ一本あればすむな、男に抱かせるのがいちばんだな、と思うときがあります。そのときに自分の男を貸し出してやりたい、それですむならいくらでも貸してあげる、それで幸せな気持になるんだったら、私を幸せにしてくれた男だから間違いない、そういう気持があります。

関連まとめ

本のまとめカテゴリー


コメントを書く