定期的に見直したい! 根底にある「辺境人」としての「日本人」の国民性を。

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日本辺境論(新潮新書) [kindle版]

日本人らしさ

比較からしか国家戦略を語れない国民性

  • 「世界第二位の経済大国として」アメリカと関係を構築したいという発言は変だ。それを誰も「変だ」と思わなかったのが「変だ」と思う。 どうして「私はどういう国をつくりたいのか、あなたはどういう国をつくりたいのか」がまず問われるべきだというのが分からないのか。 他国との比較を通じてしか自国のめざす国家像を描けない。国家戦略を語れない。そのような種類の主題をについて考えようとすると自動的に思考停止に陥ってしまう。これが日本人の際立った国民性です。

「自分の言いたいこと」が実現するよりも、それが「聞き届けられること(実現しなくてもいい)」

  • 日本人が集団でなにかを決定するとき、その決定にもっとも強く関与するのは、その場の「空気」であると看破したのは山本七平でした。 「自分の言いたいこと」が実現するよりも、それが「聞き届けられること(実現しなくてもいい)」のほうが優先される。自分の主張が「まことにおっしゃるとおりです」と受け容れられるなら、それがいつまでたっても実現しなくても、指して不満に思わない。まことに不思議な心性というべきでしょう。

「自分の言葉」で語れないという弊害

  • 日本人が国際社会で侮られているというのがほんとうだとしたら(政治家やメディアはそう言います)、その理由は軍事力に乏しいことでも、金がないことでも、英語ができないことでもありません。そうではなくて、自分がどうしてこのようなものになり、これからどうしたいのかを「自分の言葉」で言うことができなからです。

日本人らしさはオリジナリティで変更できるようなものでもない

  • なにしろ、こんな国は歴史上、他に類例を見ないのです。それが歴史に登場し、今まで生き延びてきている以上、そこには何か固有の招命があると考えることは可能です。日本を「ふつうの国」にしようと空しく努力するより(どうせ無理なんですから)、こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとしたら、それは何かを考える方がいい。その方が私たちだって楽しいし、諸国民にとっても有意義でしょう。

辺境人としての日本人

辺境人として、後から無理やり参加させられる。

  • ゲームはもう始まっていて、私たちはそこに後からむりやり参加させられた。そのルールは私たちが制定したものではない。でも、それを学ぶしかない。そのルールやそのルールに基づく勝敗の適否については保留しなければならない。なにしろこれが何のゲームかさえ私たちにはよくわかっていないのだから。

翻訳して土着化させる

  • 英語やフランス語で論じられることは、ほぼ全部日本語でも論じることができるからです。どうして論じられるかといえば、外来の概念や術語をそのつど「真名」として「正統の地位」に置いてきて、それをコロキアルな土着語のうちに引き取って、圭角を削って、手触りの悪いところに緩衝材を塗り込んで、生活者に届く言葉として、人の肌に直に触れても大丈夫な言葉に「翻訳」する努力を営々と続けてきたからです。

辺境人は「小成は大成を妨げる」

  • 辺境人の最大の弱点は「私は辺境人であるがゆえに未熟であり、無知であり、それゆえ正しく導かれなければならない」という論理形式を手放せない点にあります。まさにこの論理形式が「学び」を起動させ、師弟関係を成立させ、「道」的なプログラムの成功をもたらしたわけですが、「小成は大成を妨げる」の言葉のとおり、この成功体験が逆に、辺境人にとって絶対的な信の成立を妨げてもいる。

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