内田樹流村上春樹論。「教訓」「秩序」「言い表せないこと」

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もういちど 村上春樹にご用心

『1Q84』やエルサレム・スピーチをウチダ先生はどう読んだのか?
ハルキ文学の読み方がもういちど変わる! 新たなテクストとともに『村上春樹にご用心』をアップデート!
その中から、「教訓」「秩序」「言い表せないこと」にピンときて、まとめました。

村上文学の「教訓」

青春小説の根源的なメッセージ

  • 成熟というのはおのれの未成熟を愛し、受け容れ、それを自分の中に抱え込んだまま老いていけるような人格的多面性のことなのだというのが、これらの青春小説の根源的なメッセージなのかも知れません。いずれにせよ、『羊』において村上春樹はそのような根源的な志向を刻み込まれた青春小説の正系の水脈にしっかりと杭を打ち込みました。

衣食住をきちんとし、敵がいることが神話的説得力を生む。

  • 仕事はきちんとまじめにやりましょう。衣食住は生活の基本です。家族はたいせつに。ことばづかいはていねいに。 というのが村上文学の「教訓」である。 それだけだと、あまり文学にはならない。 でも、それが「超越的に邪悪なもの」に対抗して人間が提示できる最後の「人間的なもの」であるというところになると、物語はいきなり神話的なオーラをを帯びるようになる。

秩序は普遍性を持たず、一時的なもの

「秩序のようなもの」は一時的、相対的な勝利にすぎない

  • 世界はまったく無秩序でランダム性が強いが、手の届く範囲に限れば、「秩序のようなもの」を打ち立てることはできる。科学的に思考し、フェアに判断し、感受性が鋭く、想像力の行使を惜しまない人々が集住している場所があれば、そのささやなか集団内では何か秩序のようなものが無秩序を相対的には制するだろう。けれども、それはあくまで、一時的、相対的な勝利にすぎない。その「何か秩序のようなもの」を一定以上の範囲に拡げることはできないからだ。

ローカルな秩序は、ローカルである限りという条件を受け容れてのみ秩序として機能する

ローカルな秩序は普遍性を要求した瞬間に無秩序のうちに崩落するからである。レヴィナスが書いているように、正義を一気に全社会的に実現しようとする運動は必ず粛清か強制収容所かその両方を採用するようになる。歴史はこの教訓に今のところ一つも例外がないことを教えている。私たちは「父」を要請してはならない。

「それを言い表すことばがまだない」ということ

革命を言語化できる時点で、既存の言い表せることではないか?

  • いつでもそうだ。「今まさに革命的変動が粛々と進行しつつある」というようなことばが大声で語られ、多くの人々が満足げにそれに唱和しているときに革命的変動が起きたことは歴史上一度もない。知的な意味でラディカルな変動が起きつつあるとき、もしそれがほんとうにラディカルな出来事であるのなら、「何かが起きつつあるのだが、それを語ることばがまだない」という事態が出来するはずであるし、「それを言い表すことばがまだない」という欠性的事況そのものが主題として選択されるはじである。

賢いことを列挙できる時点で、たかが知れている。

  • 「どうして私はこんなに賢いのか」について得々と理由を列挙できるような人間はたくさんいるが、それは彼らが「理由が説明できる程度の賢さ(というより愚かさ)」の水準にとどまっているからである。「私にはそれが説明できるが、なぜ『私にはそれが説明できる』のかは説明できない」  世界史的レベルで頭がいい人が抑制の効いた文章を書くようになるのは、この不能感につきまとわれているからである。
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