三島由紀夫文の次代への遺言

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若きサムライのために (文春文庫)

男の生活と肉体は、危機に向って絶えず振りしぼられた弓のように緊張していなければならない―。平和ボケと現状肯定に寝そべる世相を蔑し、ニセ文化人の「お茶漬ナショナリズム」を罵り、死を賭す覚悟なき学生運動に揺れる学園を「動物園」と皮肉る、挑発と警世の書。死の一年前に刊行された、次代への遺言。

三島由紀夫文の次代への遺言

若者について

  • 若さが性に対して持ち得る一番よいものは、盲目的な無知の情熱であり、おとなたちがそれを美しいと言うのは、すでにおとなたちがその情熱にひそむ苦しみを忘れているからである。
  • 若者の性は最高の表現をとるときに情熱になり、おとなの性は最高の表現をとるときに快楽になる。
  • 若い時代には、言うにいわれぬ羞恥心があって、自分の若い未熟な言論を大人の前でさらすことが恥かしく、またためらわれた→そこには、自己顕示の感情と、また自己嫌悪の感情とがまざり合い、高い誇りと同時に、自分を正確に評価しようとするやみ難い欲求とが戦っていた。

人生について 

  • 豊富な人生を生きた人の百分の一の人が、自分の人生を記録したいという欲望を持つ→ところが、記録そのものにも才能がいり、技術がいり、あらゆるスポーツや技術と同じように、長い修練の過程がいる。修練をしていては、人生は楽しめない。また、冒険のただ中に記録の才能を訓練することはできない。そこで、人々が、自分の人生を記録しよう、それを世にもおもしろい物語として、後世に残そうと思うときは、たいていおそいのである。
  • 人生は、成熟ないし発展ということが何ら約束されていないところにおそろしさがある。われわれは、いかに教養を積み知識を積んでも、それによって人生に安定や安心が得られるとは限らない。

文学について

  • 文学に生きる目的を見つけようとする人は、この現実生活の中で何かしら不満を持っている人である。そして現実生活の不満を現実生活の中で解決せずに、もっと別世界を求めて、そこで解決の見込がつくのではないかと思って、生きる目的やあるいはモラルを文学の中に探そうとするのである。しかも、それにうまくこたえてくれる文学は二流品にきまっていて、青年はこの二流品におかされているうちはまだ罪も軽いし害も少ない。作家の名は指されないけれども、そういう文学はどんな時代にも用意されている。
  • たびたび作家は、処女作に向って成熟するということが言われるのは、作家にとって、まだ人生の経験が十分でない、もっとも鋭敏な感受性から組み立てられた、不安定な作品であるところの処女作こそが、彼の人生経験の、何度でもそこへ帰って行くべき、大事な故郷になるからにほかならない。
  • ほんとうの文弱の徒とは、文学以外のすべての関心と努力を放棄して、文学の中でだけ許されるような無道徳、ふしだらを自分の生活の理想として、人に迷惑をかけて省みない人たちのことである。

努力について

  • 実は一番つらいのは努力することそのことにあるのではない。ある能力を持った人間が、その能力を使わないように制限されることに、人間として一番不自然な苦しさ、つらさがあることを知らなければならない。
  • どんな自由な世界がきても、たちまち人はそれに飽きて、階段をこしらえ自分が先に登り、人をあとから登らせ、自分の目に映る景色が、下から登ってくる人の見る景色よりも、幾らかでも広いことを証明したくなるに違いない。

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