意外と攻め落とされにくい平城

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戦国の城 (学研新書)

平城が攻め落とせねぇ

平城といっても、〝室町期の守護館と守護町〟でみたような一重の堀と一重の土塁、すなわち単濠単郭の土豪の居館ではない。土豪の居館程度のものであれば、大軍に包囲されてしまえばすぐ落ちてしまう。ここでいう平城はもっと大きな平城をさしている。

戦国時代の前半と後半とくらべた場合、大きなちがいの一つは、戦国後半に土木技術が飛躍的に発展し、かつ大規模化した点である。戦国大名が動員できる人足の数が急速に増大していた。つまり、戦国大名本人が自分の城を作る場合でも、家臣の城を作る場合でも、大規模土木工事が可能となったのである。そのことと平城が築かれることとは密接に関係したものと私は考えている。

大規模土木工事によって、大きな堀を掘ることが可能となり、それも一重、二重ではなく、三重、さらには四重というように、いく重にも堀をめぐらせることで、堀を防備の重点とする形ができあがった点は無視できない。よく、「水城」とか「浮城」などといわれるが、水によって守られる平城が戦国後半にかなり多く出現しているのである。

人工的に掘った堀にかぎらず、城の近くの川、沼、池などのほか、水田そのものも防備に用いているのが平城だった。水田は、稲を刈りとったあとはふつうは水抜きをするが、城のまわりの水田は常に水を張った状態にしておく。それが深田とか「ふけ」とよばれる低湿地となって残るのである。敵が侵入してきたとき、そのぬかるみに足を取られ身動きできない状態のところを、城内から弓矢や鉄砲で狙撃するわけで、これはきわめて効果的だっ

ただ、その攻め落とされにくい平城を、「水に守られている」という点を逆手にとって城攻めを行ったのが豊臣秀吉だった。周知のように、秀吉は、天正十年(一五八二)の備中高松城を攻めるのに、近くを流れる足守川を堤防で堰きとめ、その水を高松城に注がせ、城を水没させるという方法で攻め、最終的に城主清水宗治を切腹に追いこみ、開城させている。

感想

戦国の城の魅力が存分に語られています。本書を読んだ後に、江戸城を攻めようと考えるとどうやっても攻め落とせる気がしません。城マニアにはたまらない本です!

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