灰色のダイエットコカコーラ(佐藤友哉)の書評・感想

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灰色のダイエットコカコーラ (星海社文庫)

『祖父は覇王。
つまりゴールだった。終着駅だった。到達点だった。百点だった』

北海道の片田舎で両親と共に暮らす19歳の主人公は、バイトして、いてもいなくてもいいような友達と時々ボーリングをして、死んでいるように生きている腐ったフリーターだ
13歳の頃の自分は、こんなではなかった
あの頃僕には、ミナミ君がいた
ミナミ君は隣に住んでいた同級生で、人とはまったく違った世界を持っていた
祖父はこの町の覇王だった
そんなミナミ君も祖父も、もういない
そして僕は、このクソみたいな北海道という土地で、何もない東京でも神奈川でも大坂でもない、この北海道という土地で、腐ったように死んだように生きていくのだ
本当に?
覇王の道は、諦めたのか?
というような話です
これはなかなか斬新で、僕にはなかなかピッタリ合う作品でした。好き嫌いは完全に分かれることでしょう。僕は、このクソみたいな主人公のあり方がちょっと分かってしまうような気がするし、広く括れば同志といえるかもしれない

『そこそこの会社に入って月曜から金曜まで労働し、休日になったらドライブだのバーベキューだのを楽しみ、子どもの授業参観だの運動会だのに欠かさず出席し、おいしいコーヒー豆を探したり鼻を植えるのを趣味とするような人生。普通の、平凡の、ちょっと周りを見渡せば誰もがやっているような人生。そんなものに楽しみを見出す肉のカタマリは徹底的に嫌悪して、徹底的に拒絶しなければならない。受け入れてはならない。楽しんではならない。』

主人公はとにかく、「肉のカタマリ」になることを嫌悪する。「肉のカタマリ」というのは祖父がよく使っていた表現で、平凡で普通でありきたりな人間のことを指す。自分だけはそうはなるまいと、全力で抗おうとする

『残された道は…普通の人生を歩むこと
でもそれは絶対にできないだろう。僕は十九年間、普通を馬鹿にしてきた。普通は汚い、普通は醜い。そう考えてきた。それなのに主張を百八十度転換して肉のカタマリとして生存するだと?無理だ。虐待された犬が二度と犬を信用しないのと同じように、鬼畜米英と教えられた子供たちがなんの疑いもなく戦争に突入するのと同じように、僕には肉のカタマリに対する嫌悪が刷り込まれているのだ。』

仕事もせず、内側を渦巻く祖父のような想念を、どんな風にして表に出していったらいいのかもわからないまま、衝動に任せて暴れるだけの日々。覇王になるために何をすればいいのか、そしてそもそも、覇王になるということがどういうことなのかもさっぱり分からないまま、ただ覇王になるのだ、と空虚に叫びながら前進しているフリをしている
それは、全力で現実逃避をしているだけだ。
その現実逃避っぷりに、僕は共感できてしまう。
主人公の有り様を100倍ぐらいに薄めたら、もしかしたら僕になるかもしれない。僕は、覇王になりたいわけでも、何者かになりたいわけでもないし、内側に暴力的な衝動を抱えているわけでもないのだけど、それでも僕は、彼が抱えている鬱屈を理解できてしまうような気がする。
僕自身も、「普通」に嫌悪感を抱いてしまうことが多い。肉のカタマリになったらお終いだ、という感覚はある。常識なんかに殺されてたまるか、とさえ思っている。
僕は、もっと普通でいたかった。もっと普通に溶け込める人間の方が良かった。僕のような人間に、普通を馬鹿にされるようなことがあっても、もっともっと普通でありたかった。でも、どうも普通というのは、しっくりこない。逃げ出したくなる。うんざりする。窮屈さを感じる。そこにいるべきではないと感じてしまうのだ。

感想

『それにしても今日は本当に暗い。異様なほどの暗さだよこれは。僕が照らしてあげなきゃいけないなぁ』

この場面が、一番印象的だった。使う機会はないだろうが、覚えておこう。このセリフ。
彼らのように絶望に取り込まれてしまう人たちよ。現実なんて大したもんじゃない。そこから背を向けて、全力で逃げよう。それでいい。無茶することはない。クソみたいな生活のままでいい。そういう自分を、きちんと認めていこう。そうやってみんな生きているんだ。

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