なぜ日本は靖国以外にもうひとつの戦没者追悼施設を作ったのか?

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「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える (祥伝社新書328) (祥伝社新書 328)

<序章>

終戦記念日という呼称
 終戦記念日→記念日という呼称を用いているのは祝日、良い事だから
 「記念日」をつけずに、単に終戦だけで十分

<1章>

■2つの戦没者追悼施設

・皇居周辺には靖国と千鳥ヶ淵の2つの追悼施設がある
靖国のほうが圧倒的に参拝者、知名度がある

■大東亜戦争
 ・元々、日本の宣戦布告は、アジアを欧米植民地から解放するという大義名分があり、大東亜戦争という呼称が使われた
 ・敗戦後は大東亜戦争という呼称は使用されず太平洋戦争や第二次世界大戦という呼称に含まれるように
 ・太平洋戦争・・・米国戦を中心とした呼称であり、アジアを主戦場とした部分を含めると適切でないし、
 ・第二次世界大戦・・・終結はドイツ降伏の5月までとされる

やはり日本の戦争に関しては、大東亜戦争という呼称が適切

■千鳥ヶ淵建設の経緯

・遺族会=靖国境内を提案するが、他宗教の反対がある

・援護会は宗教の垣根を越え、靖国の合祀基準(軍人・軍属のみ)に合わない民間人や自決者なども広く含むべきと主張

・最後の陸軍省高級副官美山要蔵が国民をすべて祀る施設の建設を行うことを求め、話をまとめる

■4つの告発
二章~五章

<二章>終戦決断の遅れ

・S20年の死者数は100万人を超え、民間人も多数含まれる
→沖縄戦19万弱、本土空爆等で民間人23万、原爆で34万以上、満州でのソ連攻撃で34万人、シベリア抑留6万
・ポツダム宣言受諾以降も正式な受諾の通告に5日かかっており、この間も空爆が行われ、多数の死傷者を出している
・陛下が招聘した元老もS20年の少なくとも沖縄戦の最中で既に停戦すべしと考えていたが、軍部は本土で戦って一撃与えて交渉すべしと譲らず

<三章>原爆

・原爆体験者の経験談
・民間人・都市が標的、不必要に残虐→明らかな戦時国際法違反であるが、そのことへの謝罪は一切ない
・米の公式見解は戦争を早く終わらせ、本土決戦による死者を減らすため
→実際には核爆弾の人体実験や、ソ連牽制といった要素がある
・原爆慰霊碑「過ちを繰り返しませぬ」の文字、これを東京裁判の日本無罪論で知られるパール判事が痛烈に批判
→開戦の責任・原爆の責任は米国にあるのに、明記されていない

<四章>ロシアの違法参戦、シベリア抑留

・中国は蒋介石が日本人への略奪を禁止し、帰国を認めたが、ソ連は違法に参戦した上、ポツダム宣言にも反し略奪、虐殺、シベリア抑留、強制労働を強いた

・シベリア抑留 
終戦後にも関わらず、ポツダム宣言にも明確に違反して虐殺、略奪、暴行など行われた上で、日本兵を捕虜として極寒地の収容所に送り強制労働を3~10年行わせた
極寒の中での強制労働、十分な食料なし→捕虜虐待によって6万人が死亡したがなんらの責任追及なし

・満州開拓団の集団自決
ソ連の進行により逃げた末追撃を受け自決に走る者が多くいた
後に残留婦人、残留孤児といわれる人々もいる

<五章>焦土作戦

・軍需工場の爆撃
挺身隊ら学徒も多数死亡→国として弔うことをしていない

・3.10東京空襲(10万人超死亡)以降市街地への無差別爆撃(焦土作戦)へ

・空襲犠牲者のほとんどは民間人

<六章>海運

・開戦の必要性 石油を絶たれたことの危機
・海運の重要性にも関わらず、輸送船の一部は軍属として扱われない船員が乗っている

<七章>

・東京裁判 戦勝国により事後法に基づく一方的、恣意的な裁判
・マッカーサー「日本は自衛戦争をしただけ」発言
・一般市民の犠牲者を祀るのは千鳥ヶ淵の役目であり、責務

感想

元自民議員、援護会理事長の著。
戦争の悲惨さを伝えるものとしては確かな内容だが、これとタイトルの千鳥ヶ淵墓苑の存在意義という点を結びつけるための記述であるかが疑問に感じ、むしろ連合軍やソ連の戦争犯罪の糾弾という目的のほうが先んじているように思われる。また、GHQ占領下での憲法改正に関しては、やや不正確な見解がみられる。草案の提示や案の折衝があったことでいかにもGHQが恣意的に憲法改正を行ったかのような書きぶりにみえるが、これは具体的な案の内容や、折衝の内容を知れば、あながち「押し付け」(著者は押し付けという表現は使っていないが)といわれるようなものとは違うということがわかるはず・・・。

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