世界一わかりやすい世界史の授業でためになった部分

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世界一わかりやすい世界史の授業

黄河・長江文明と呼ぶのはなぜか?

10年前には世界四大文明はインダス・エジプト・メソポタミア・黄河文明と考えられていましたが、今では、黄河文明ではなくて中国文明や河江文明とされています。それは長江文明の発掘が近年進んでいるからなんです。

浙江省河姆渡遺跡からは稲作文化を示す、骨製の犂や高床式住居跡が発見されました。ここから日本に稲作が伝わったのです。稲の原産地は雲南省付近、そして浙江省から伝わったと認識しながらお米を食べましょう。かたや黄河文明は黄土地帯を中心とした新石器文明、畑作地帯です。仰韶文化→竜山文化の順です。

中国最古の王朝は夏?それとも殷?

1959年に発見された河南省の二里頭遺跡を禹が建国した夏王朝の遺跡だと推測する学者がいます。竜山文化と殷の空白を埋めるものであると。でもまだ、これが夏の跡であるとはいいきれないようです。つまり、現段階においては、黄河中流域の中原地方に前16~11世紀に栄えた殷が最古の王朝ということになります。 さて、殷は竜山文化より一歩進んだ青銅器文化です。都市国家連合の形をとった統一王朝で、家父長的氏族社会を基礎に神権政治を行ないました。占いのために亀甲、獣骨に刻んだのが甲骨文字です。

カースト制度とは、じつは肌の色による区別のこと

先住民で肌の黒いドラヴィダ人の世界に、アーリア(高貴なるという意味、白い肌が高貴)を自称する民族が、前1500年頃にカイバル峠を越え、侵入しました。そこはパンジャーブ地方です。インド史におけるヴェーダ時代の始まりです。前1000年頃にはガンジス川中下流域に移動し始めます。この時期、インドは鉄器時代に入り定住農耕の国家群が形成されました。そのうちでコーサラ国とマガダ国が強大化します。

前500年にかけてのアーリア人の移動期をアーリア人の自然の威力崇拝、神々への讃歌からヴェーダ時代と呼びます。主要な聖典が『リグ=ヴェーダ』です。『サーマ=ヴェーダ』『ヤジュル=ヴェーダ』『アタルヴァ=ヴェーダ』で4ヴェーダです。この時期、アーリア人とドラヴィダ人との混血が進みますが、肌の「色」による差別ヴァルナが形成されました。この色による差別を合理的に説明するためにアーリア人がつくりだした宗教がバラモン教で、その基底にあるのがアーリア人の宗教概念であるヴェーダということになります。アーリア人がバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ階級を、ドラヴィダ人がシュードラ階級と不可触賤民を構成しました。

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