東北魂 ぼくの震災救援取材日記(山川徹)の書評・感想

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東北魂―ぼくの震災救援取材日記

『「復興」「復興」「復興」…。
まだ十日。それなのにテレビや新聞では、バカのひとつ覚えみたいに連呼し続けていた。
災禍を前にして、強烈な違和感とともに怒りがこみ上げてきた。いまの南三陸の風景のどこに「復興」があるというのだ』

東京で被災した東北出身の著者は、仙台の出版社である「荒蝦夷」との仕事の関係もあって、震災直後から東北入りすることになる。当初は「荒蝦夷」周辺に支援を続けていたが、次第に、この未曾有の大災害を前にして、自分が知っている範囲の個人の現状を見、声を聞きに行く「取材」を始めることになった。
本書は、その記録だ

『「ようやく復興の目処がつきました…」
須藤さんがぼそりと呟いた
「復興の目処って何?」
それは、この十日間、ぼくが感じていたことでもあった。
家や仕事、家族を失った人に「復興」なんてありえるのか
ちまに溢れる「復興」という言葉への違和感が募っていた』

知り合いを渡り歩くようにして取材と支援を続けていく中で著者は、様々な違和感や温度差を感じることになる。目の前にある「ありえない現実」の着地点が見いだせない。そんな非現実的な光景を前にして、「復興」という言葉を繰り返すことに、一体どんな意味があるのかと。

『たとえば、道路がなおった様子をテレビで流して「復興がはじまっています」という。それでテレビを見ている人は安心する。でも、道路がなおれば、ほんとに「復興」なのか。「復興」って、「またおこす」って意味ですよね。でも、見てください。まだ、女川では、何もおこっていないじゃないですか。「復興」という安い言葉のせいで東北は忘れられてしまうんじゃないか。そんな気がするんです。それにいまテレビも新聞もほとんど原発ですからね。「復興」って、すべてが終わったときにはじめて使える言葉だと思うんです』

この言葉は、著者自身にも突き刺さる。著者自身、「阪神大震災」のことは、「忘れて」しまっていたのだ。

『続ける―。その意味を、阪神・淡路大震災を体験した友人が教えてくれた。
いままで幾度、彼女は壊滅した神戸の記憶を語っただろうか。
当初は真剣に耳を傾けていたはずだが、いつしか聞き流すようになっていた。
八年も前の話をいまさら…。もう十五年前の出来事じゃないか…。彼女が被災体験の話をはじめるとそう感じた。いつまで過去を引きずっているんだ、と』

著者は、自身のこの在り方を、東日本大震災の取材・支援を通じて猛省することになる。そうじゃない。被災した人にとって、終わりはこないのだ。世間が忘れ去ってしまっても、その時の記憶・苦労・絶望、そういったものはずっと消えはしない。だからこそ自分も、被災した人たちの声を聴き続けていこう。
本書には、個人の話がとてもたくさん載っている。主に、著者の知り合いだろう。そういう意味で本書は、非常に「個人的な作品」と言えるかもしれない。しかし僕は、どんな形であれ、「個人の声」というのは形として残って欲しいと思っている。僕らは一括りにして「被災者」と呼んでしまう。あまりに大きな災害、あまりにも大きな被害。その個々の有り様について捉えることは難しい。だからこそ、個人個人の状況を無視して、「被災者」という大きな括りで捉えてしまいがちだ。
しかし、「被災者」も様々だ。本書を読んで、改めてそう強く感じた。前向きな人もいれば絶望的な人もいる。何故か笑ってしまう人もいれば、何故か泣いてしまう人もいる。不満をぶちまける人もいれば、罪悪感を抱く人もいる。そうした様々な声を、ありのまま記録していく。それは、とても意義あることだと僕は思う。

感想

本当に、様々な人がいる。こういう人たちを「被災者」とひとまとめに括ってはいけないのだろうと僕は感じた。色んな人がいて、色んな意見があって、色んな想いがある。まずその前提を、僕たちも持たなくてはいけないのではないか。そう問いかけられているように感じました。是非読んでみてください。

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