失敗を見るときの「絶対基準」
- 人は誰でも失敗するし、そうした場合は、誰でもうつなどの精神的ダメージを受ける可能性があるという認識をもつ
- 失敗を失敗と認めないうちは、失敗後の対処など考えることができないし、悪い現象を前にして何ひとつ手を打つことができない
- 失敗にうまく対処するには、自分の失敗を認めることが大切な第一歩
- 失敗や失敗した人の責任を過大に評価して責め立てることには、結果として社会に大きなマイナス効果をもたらす危険性がある
結局は「お天道様に向かって堂々と話せるかどうか」ということ
失敗を評価する
失敗を評価するときに重要視点は「物理的視点」「経済的視点」「社会的視点」「倫理的視点」
- 物理的視点というのは、目の前でどのようなことが起こっているかをありのままに見ること
- 経済的視点は、いわば損得勘定で失敗を見る視点
- 社会的視点は、具体的には「社会の中でその失敗がどう見られているか」とか「社会がその失敗にどう反応して動いているか」などを見ること
- 倫理的視点は、人としてやらなければいけないことがきちんとできているかどうかを判断するためのもの
- もともと失敗について検討するときには、人は、「自分は悪くない」という理由づけをどう行うかを重点的に考える傾向がある
- そのことばかりに気をとられているうちに、時間の経過とともに自分を正当化する理由だけが頭の中に残る
- 一方で、失敗を招いた自分の悪い行為に関する記憶はいつの間にか消える
- その結果、頭の中ではいつの間にか自分にとって都合のよい架空の記憶へのすり替わりが起こる
- こうした状態で失敗が隠蔽され続けると非常に危険
- そうでなくても「隠す」という対処には失敗を拡大再生産させるリスクがある
- それは隠すことで、失敗の原因が放置されることがよくある
- 周りの状況は以前と同じままであるうえに、本人には自分が失敗を起こした自覚がないとなると、隠したのと同様の失敗が再発する可能性は当然高くなる
本書の名言
人は誰でも失敗する。失敗すれば誰でも落ち込む。 本当に大切なのはそこからだ。自分の回復力を信じ、待つことができれば、必ず壁は乗り越えられる
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