僕、9歳の大学生(矢野祥)の書評・感想

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僕、9歳の大学生!  (新潮文庫)

『僕は高い知能指数は早く理解できるという点でボーナスだと思うけど、勤勉がもっと大切なことだと思う。(中略)それよりも習うことへの従順さと、自分が成功するための意志や意欲がとても大切だと思う。人は僕が高い知能指数なのであまり勤勉でないと思うようだけれど、それは正しくはない』

本当にその通りだと、最近よく思う。
僕は、自分で言うのはなんだけど、「頭がいい」と言ってもらえる機会が時々ある。ありがたいことだ。実際はどうかわからない。僕自身は、「頭が良い風に見せるのが巧いだけだ」と思っている面もある。もちろん、「そこそこ悪くないかもしれない」と思っている面もある。ただよくわからない。
が、一つだけ確かなことがある。たとえ僕が「頭がいい」のだとしても、それだけでは何も成し得ないし、何も出来ない、ということだ。
僕は、色んなことに対して興味もやる気もない。頭がいいかどうかという点とは無関係に、こういう僕の意欲のなさは致命的だ。最近僕は、「頭がよくてやる気のない人間」と、「頭が悪くてやる気のある人間」と、どっちの方がいいだろう、と考える。状況次第だろうが、どっちもどっちで、対して差はないかもしれないとも思う。

『確かに僕は自分が高い知能指数を持っていることを喜んでいる。いつも僕自身の役に立つと思うからだ。けど、それだけでこの世のすべてが解決するわけでない。知能指数がどんな良いことをするのだろう。知能指数は単に可能性の一つにすぎない』

『僕には高い可能性があるけれど、同時にその恵みは重い責任と共にある。僕には、僕の可能性をフルに生かす責任がある。僕の両親は、僕に「高い目標を持つように」と話をしてくれる。「アヒルが地面を歩いていても誰もおかしく思わない。アヒルはいつも地面を歩くから。でも、鷲がアヒルのようにずっと地面を歩いていたらおかしいと思う。だって、鷲は、空を飛ぶのが普通だから。」そして僕を励ましてくれる。「祥も鷲のように高く舞い上がる可能性がある。だから、地面ではなく、可能性を使って高く飛びなさい」』

『アインシュタインは自分の意思で実行し続けたから偉大なことができたのであり、知能指数が高かったことのみによって達成できたのではない』

『能力よりもアクション(行動)が重要だ。「僕が高い知能指数を持っている」ということは、「僕が何をするか」ということほど重要ではない。
僕の行動は僕の能力より重要なことだ。
また、いくらひとりの人が特別に能力があるからといって、その人がひとりの力で偉大なことをすると思うのは間違いだ。どんな偉大な発見や業績でも、社会的背景や先人の積み上げてきた業績の上に出来るものだ。(中略)どんな偉大なこともひとりでできるのではない。高い能力のひとよりも、普通の能力の人が多く協力し合うほうが何百倍もの効果を発揮できるだろう』

『僕は、9歳で大学に入るために今まで勉強してきたわけではない。勉強していたら結果としてこうなっただけだ。同じように、もし僕がノーベル賞をもらうことになったとしたら、それは僕の本当の目的に向かっていった結果だと思う。きっと、ノーベル賞は、研究することや好奇心を失わずに何年ものあいだ、とても一生懸命働いてきた人たちに贈られるものだと思う。絶え間ない継続と、諦めない我慢強さにまさるものはないはずだ』

感想

最後に、「文庫あとがき」に書かれている文章を引用して終わりにしよう。

『もし、これを読んでいるあなたが自信を失い「僕には無理だ。出来ない」と思ったときは、私が大学に申し込むときに母が私にくれた、「どうしてだめなの、別にいいじゃない」(Why not!)という言葉を自分自身に投げかけてください。人間の歴史は、私が9歳で大学に行ったこと以上に、もっと驚くようなストーリーで満たされています。私たちはみんな、自分が思っているよりずっと多くの可能性を持っていると思います。ですから、この本を読んでいただき、学生の方だけでなく、すべての人が、「どうしてだめだと思うの。私も(僕も)トライできる!」(Why not! I can try!)と自分を勇気付け、自分のやりたいこと、ゴール、目標に向かってトライし、充実した日々を過ごせることを願っています』

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