わたしのノーマジーン(初野晴)の書評・感想

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([は]7-1)わたしのノーマジーン (ポプラ文庫 日本文学)

桐島は、天才鞄職人だった。革製品の歴史の浅い国で、造花の型紙を応用するという独自の手法によって、独創的な作品を生み出した。
しかし、桐島の不幸は、それを売る人間を見つけることが出来なかったことだ。販売は、秀才にしか出来ない。天才でしかなかった桐島は、病院に行けば治ったかもしれない病に倒れ死んだ。
桐島の死後、桐島の鞄は高評価を受け、終末のこの世界でも、富裕層たちが高値で取引しあい、値段はうなぎ登りだ。
唯一の問題は、桐島には弟子がいなかったことだ。桐島の新たな作品が生み出されないだけではない。メインテナンスの難しい革製品、特に独自の意匠を持つ桐島の鞄は、桐島が長年掛けて作り上げた道具と技術によってしかメインテナンスすることが不可能だ。
その道具と技術を持つ、車椅子に乗った女性がいる。
シズカは桐島のバッグのメインテナンスで生計を立てながら、荒廃した一軒家に一人で住んでいる。一人での生活に不都合はないけど、不便ではある。年末に政府が無償で支給してくれる介護ロボットに当選したので、楽しみに待っていた。
しかしやってきたのは、人語を話す赤毛のサルだった。
ノーマジーンと名乗ったそのサルと一緒に生活をすることになった。文字は読めない、重いものは持てないで、大して役にも立たないやつだけど、無邪気で純粋なノーマジーンとの、貧しいけれどささやかな生活は、ずっと一人で生きてきたシズカの心を少しずつ溶かしていく。
来年の春には、世界は滅亡する、と言われている。終末の雰囲気に包まれた世界の中で、シズカとノーマジーンはひっそりと毎日を生きる…。

というような話です。
先に書いておくと、本書は、一度書いた文章に後からさらに手を加えているので、もしかしたら文章同士の繋がりがおかしな部分とかあるかもですけど、お許し下さい。
僕が一番強く言いたいことは、本書は、『初野晴のミステリだ』という認識では読まないで欲しい、ということです。そういう認識を持たずに読めば、本当に素晴らしい作品と受け取ることが出来ると思います。
さて僕はこの作品を、二度読みました。どちらも刊行前だし、いつもであればこういうことは書かないんだけど、今回に関してはそれを書くことに意味があるので、まずその話から書きます。
一度目は、まだ完成原稿ではない状態のものを読ませてもらった。その時僕は本書を、『初野晴のミステリ』だと思って読み始めた。作中に散りばめられた様々な気になる事柄や終末という設定、そもそもノーマジーンという謎の存在も含めて、初野晴なら何か仕掛けてくるんだろうと、最後どういう風にまとめてくるのか非常に楽しみにしながら読んでいた。
でもその期待は、ちょっと裏切られる形になりました。僕が一度目に読んだ時の感想は、次のようなものです。

『個人的に、非常に評価の難しい作品だなと思いました。
ストーリーはかなり好きです。本書は『シズカとノーマジーンのささやかな生活の物語』がメインの作品だ、という了解の元に読めば、凄く楽しめる小説だと思います。』

本書でもラストに、なるほど初野晴らしい、と思える部分がある。
僕の中で、初野晴が描くミステリというのは、他のミステリとは何か違う要素が多々含まれている。それが何なのかを言葉で表現することは、本当に難しい。難しいのだけど、『初野晴のミステリ』というものに、他の作家には抱くことがない、特別な何かを期待してしまう部分がある。そういう意味で僕は、本書を『初野晴のミステリ』だと思って読んだのは間違いだったなぁ、と思いました。

感想

シズカとノーマジーンの交流の物語として読めば、これは凄く素敵な作品だと思います。本書は帯に小さく、『寓話ミステリー』と書かれているんだけど、僕はやっぱりこの表記はちょっとなぁ、と思ってしまいます。ミステリ要素がないわけではない。でも、初野晴の作品に『ミステリ』と表記することで、読む側はミステリ的な方面での、他の作家には抱かない期待をしてしまうのではないか、と僕は勝手に思ってしまいます。僕の中では初野晴というのは、そういう期待を抱かせる作家です。繰り返しますが、本書は『初野晴のミステリ』ではない、という意識で是非読んでみてください。随所に現れる寓話的なエピソードやトリッキーな知識なんかは、やっぱり初野作品だなという感じがしますし、シズカとノーマジーンの交流の物語は本当に素敵で、ほんの些細なシーンでも心を揺さぶられてしまうことが多いです。是非読んでみてください。

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