ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年(奥野修司)の書評・感想

2302views黒夜行黒夜行

このエントリーをはてなブックマークに追加
ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年 (文春文庫)

「赤ちゃん取り違え事件」というのは、今ではほとんど耳にすることがないだろう。実際、「赤ちゃん取り違え事件」が頻発したのは、昭和40年頃から45年頃らしい。何故か。
それまでほとんどの出産が自宅分娩だったのに、昭和30年には施設分娩が17.6%、そして昭和40年には84.0%にまで急増したのだという。
その施設分娩の急増に、病院側が対応できていなかった。そんな時期に、「赤ちゃん取り違え事件」は頻発したのだった。
本書の主体となる二家族に「赤ちゃん取り違え事件」が発覚したのは、昭和52年のことだった。昭和46年に出産し、6歳になっていた子どもの血液型が合わないことがきっかけで、「赤ちゃん取り違え事件」が明るみになった。そして、謎の情報提供者からの情報で、その事件を琉球新報がスクープしたのだ。
昭和52年当時著者は、「女性自身」という週刊誌の記者をしていた。非常に恵まれた取材の出来る時期であり、著者はたった7ページの記事のために、「赤ちゃん取り違え事件」の取材に沖縄に1ヶ月も滞在することになる。当時は「赤ちゃん取り違え事件」が頻発していて、社会現象になってもいたという。そんな中での取材であった。
通常取材対象者とは、その後交流を持つことはないという著者。しかし、今回だけは違ったという。「家族とは何か」「血の繋がりとは何か」という、非常に難しい問題を突きつけるこのケースに、著者はその後も、取材とは関係なしに関わっていくことになる。
取り違え事件が発覚してから、著者が子どもたちと初めて接触するまで14年(つまり、子どもたちが成人を迎えてから)、単行本を出すまでに17年、そして文庫版を出すまでに(文庫版には、近況が書き加えられている)25年という、遠大な時間が流れている。ここまで一つのケースに関わり続けて生み出されたノンフィクションというのは、なかなかに珍しいのではないかと思う。そういう意味で本書は、ノンフィクションとして非常に稀有な存在ではないかと思う。
先に書いておこう。本書は、9/28から公開される「そして父になる」(監督:是枝裕和 主演:福山雅治)の元になった作品だ。カンヌ国際映画祭の審査員賞を受賞したという映画も、非常に興味深い。本書では、取り違えられた子どもが30歳になるところまで描かれている。それだけの時間を、映画という限られた枠の中でどう描き出していくのか。楽しみである。
内容に入ろうと思います。
昭和52年に沖縄で発覚した「赤ちゃん取り違え事件」。取り違えられたのは、城間美津子と伊佐初子(城間家・伊佐家についてはすべて仮名)。城間照光・夏子夫妻の子である初子が伊佐家へ、伊佐重夫・智子夫妻の子である美津子が城間家へ取り違えられてしまう。そしてそのまま6年間、互いの家族が気づかないまま子どもたちは育てられてしまう。
小学校に上がる直前に事実が発覚し、両家族とも混乱に陥った。取り違えがあったことは、両家族とも疑いようがないとはっきりと分かった。お互いの子が、相手の家族の両親とそっくりだったのだ。しかし、だからといって、どうすればいいのか…。
取り違えが起こった橋口病院の院長は、事態の解決を焦るあまり、「すぐにでも交換しましょう。こういうのは、早い方がいいです」と両家族をけしかける。しかし、そんなにすぐ決心がつくはずもない。相手方にいる子どもが「血を分けた子ども」だということはわかる。しかし当然ながら、6年間も愛情を注いできた子どもは手元にいるのだ。両家族とも、取り違えられた子どもは初めての子どもだった。子どもに掛けた愛情も大きかった。

感想

だから、引用が少ないからと言って、気になる箇所が少なかったというわけでは決してない。あらゆる場面で、様々なことを考えさせられる作品だろう。特に、「家族」や「血の繋がり」というものに重きを置いている人であればなおさらだろう。先ほども書いたように、僕はどうしても「家族」や「血の繋がり」というものに意識が希薄であるので、両家族の苦悩が理解し難い場面もあった。普通の人は恐らく、僕より「家族」や「血の繋がり」と言ったものに深い思いを持っているだろうから、そういう人には是非とも読んで欲しいと思う。彼らが失ったものは何であり、そして彼らが得たものは何であるのか。それさえ、未だにわからないままだろう。それほどに難しい「赤ちゃん取り違え事件」という失態。巻末には、この「赤ちゃん取り違え事件」がまだ過去のものというわけではない、ということをアリアリと実感させるとあるエピソードが載っている。是非読んでみて下さい

関連まとめ

本のまとめカテゴリー


コメントを書く