あがり(松崎有理)の書評・感想

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あがり (創元日本SF叢書)

本書は、北の方にあるとある街にある蛸足大学(色んな学部が蛸足のようにあちこちに散らばっている大学)を舞台にした5編の短編が収録された連作短編集です。明言はされないけど、著者の出身大学を考えると、あの街が舞台なんだろうなぁ、という感じがします。
いやはや。ちょっとびっくりしました!この作品、凄くいいなぁ。
著者は、理学部を卒業したいわゆるリケジョで、だから理系の研究室の雰囲気がものすごくリアルだ。僕は理系のくせに、研究室的なところに行く前に大学を辞めているんで、直接的にその雰囲気を知っているわけではないんだけど、きっとこういう感じなんだろうなぁ、という雰囲気が凄くいい形でにじみ出ている。
それを表現しようとすると、『研究室は、何かが起こる場所だ』となるだろうか。
世の中には様々な研究分野があるけど、特に理系の研究分野では、大学の研究室からすべてが始まる、ということが多い(他にも、企業の研究室なんて場合もあるだろうけど)。過去の様々な叡智も、大学の研究室から始まったものが多いだろう。時代や環境などによって様々違いはあるだろうけど、理系の研究所を取り巻く状況は決して豊かではないだろう。金はないし、設備も古い。それでも、そんな場所から、何かが起こり、何かが見つかる。本書の中で、研究をすることは物語を物語ることに似ている、というような感じの文章が出てきたけど、まさにそうだと思う。本書は、『物語が始まる場所』としての研究室の姿を、非常にうまく描き出している。そこがまず一番素敵だと思う。
科学を扱ったり、研究室を舞台にしたりする小説は、これまでも多くあっただろう。でも本書は、上記の理由で他の作品とは一線を画す。本書は、科学を中核に据えた物語、というわけではない。何かが起こる予感を孕んだ研究室という場を見事に切り取る作品なのだ。
それはこんな風に表現してもいいかもしれない。例えばサッカーという競技は、サッカーボールがなくては始まらないけど、でも観客はサッカーボールを見ているわけではなく、サッカーボールを追う選手の動きを見ている。本書もそれに近いものがあると思う。本書におけるサッカーボールは、科学だ。しかし、それは物語の核ではない。その科学という名のサッカーボールを追いかけたり蹴ったりしている人びとの動きを描き出す作品なのだ。だから、本書で描かれる科学そのものが理解出来なくても、致命的な問題にはならない。例えばサッカーの試合で、選手には見えるけど観客には見えないボールで試合が行われるとしただろうだろう。確かにボールが見えないことの不自由さはあるけど、それでも、試合はある程度充分に楽しめるのではないだろうか。本書はそういうイメージで読んでもらえたらいいかな、と思います。
というのも、実際本書で扱われている分野って、かなり高度だったりします。遺伝子だまりがどうとか、遺伝子間領域がどうとか、あるいは数学だけどリーマン予想の話なんかも出てきます。それぞれについて、理系の人ならまだしも、文系の人は理解することはおろか、ものによってはイメージすることも出来ないだろうなと思います(特にリーマン予想)。それでも、臆することはありません。本書は、それらそのものがメインというわけではありません。
本書は、表題作である「あがり」で第一回創元SF短編賞を受賞した著者の作品なわけですが、実際のところ「あがり」以外はあまりSFという感じはありません。

感想

これがまた、作品の雰囲気に合っているんですね。この雰囲気を醸し出すために意図的にやっているのか、それとも横文字を使うのがただ嫌いなだけなのかはちょっと分からないけど、本当にうまく雰囲気に合っていると僕は感じました。こういうことを、小手先の目新しさを出すためにやるような新人とかもたまにいるような気がするけど、本書の場合はそんな感じはまったくありません。意識的にせよ無意識的にせよ、横文字を使わないという選択は正解だったなぁ、と思います。
SF作品にしか見えないでしょうけど、SFっぽいのは表題作だけです。本書は基本的には、『物語が始まる場所』としての、『何がが起こる予感を孕んだ』研究室という場所の雰囲気を濃密に立ち上らせている作品です。またちょっと凄い新人が出てきたものだと思います。是非読んでみてください。

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