「科学的思考」のレッスンの書評・感想

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「科学的思考」のレッスン―学校で教えてくれないサイエンス (NHK出版新書)

本書は、今を生きる僕たちにまさに必要な知識を身につけさせてくれる必読の一冊です。
本書の大きな目標の一つは、『市民が科学リテラシーを持つことの意味を与える』というものです。本書の非常に重要な目標がそれです。科学リテラシーというのは、科学的知識ではなく、メタ科学的知識をいかに持つか、という話になります。このメタ科学的知識というのは、「科学がどういう風にすすんでいくのか」「科学がどういうふうに政策のなかに組み込まれているのか」「科学はどんな社会的状況が生じたら病んでいくのか」などについて、つまり科学というジャンルそのものに対する知識、ということになります。とはいえ、この話は本書の第Ⅱ部になります。
では第Ⅰ部はなんの話か。第Ⅰ部では、『科学を語るための概念』について様々に語られていきます。
ざっくりと第Ⅰ部の内容を追って行きましょう。

第一章は、「「理論」と「事実」はどう違うの?」 
理論と事実という言葉は、かなり間違って捉えられていることがある。イメージとして、「理論」は不確実であやふやでひっくり返る可能性があるもの、「事実」は二度とひっくり返ることのないものだと捉えられることがある。そしてある種の人びとは、「理論」と「事実」の二分法で物事を考えて、「事実」でないなら「理論」だ、というような風に捉える。
しかし、科学というのはそもそもそういうものではないのです。『科学が扱っているのはすべて理論であって、そのなかにより良い理論と、あまり良くない理論がある。科学の目的は、理論をほんの少しでもより良いものにしていくことだ』と本書にあります。
科学というのは、100%の真理と100%の虚偽の間のグレーな領域で、少しでも良い仮説を求めていく営みです。科学は、「確実に正しい」や「確実に間違っている」ということを断言することはなかなかできない。その間で、少しずつ仮説を良い方向に前進させていくことが科学なわけです。だから、「科学的に正しいか間違っているか」あるいは「科学的に安全か危険か」という二分法で物事を考えるのは、少なくとも科学的な姿勢ではないわけです。

第二章は「「より良い仮説/理論」って何だろう?」
より良い仮説であるためには、三つの基準がある。『より多くの新しい予言をする』『その場しのぎの仮定や正体不明の要素をなるべく含まない』『すでに分かっている多くの事柄をできるだけ多く説明できる』。
大事なことは、あくまでも良い理論かどうかは比較・程度の問題だ、ということです。そうやって、少しずつ比較をしていって、あまり良くない理論を捨てて行って、そうやって科学は進歩してきたわけです。

第三章は「「説明する」ってどういうこと?」
本書では、説明には三つのパターンがある、と紹介されます(ちょっと簡単には説明できないので省略)。
その三つに共通することを抽出すると、それこそが「説明する」ということの最も核心的な要素である。そしてそれは何かというと、
『科学的な説明とは、「裸の事実」をなるべく減らしていこうという営みです』
ということになります。
「裸の事実」というのは、「とにかくそうなっているのだ」と受け入れるしかないことです。ビッグバンによって宇宙は始まったけど、じゃあ何故ビッグバンが起こったのかと聞かれると、少なくとも現在の科学では「とにかくそうなっているからだ」と答えるしかない。これが「裸の事実」です。科学はこの裸の事実を減らしていこうという方向に進んできた学問なわけです。

感想

科学の本、と言われると難しそうな気がするけど、そうではない。野球の本で喩えると、一般的な科学の本が、野球を実際にプレーするためのルールやテクニックについての内容であるのに対して、本書は、野球観戦に必要な知識についての内容という感じ。もちろん、野球を感染するためにある程度野球のルールは知らなくてはいけないけど、でもその辺りを深入りしなくてはいけないわけではない。そうではない部分でも野球を見る視点というのはある。本書はそういう、科学というものとの新しい触れ方を教えてくれる作品だと感じました。
一読の価値がある、本当に素晴らしい作品です。特に第Ⅱ部は、「何故市民が科学リテラシーを持たなくてはいけないのか」の例として、原発問題のあれこれがかなり詳しく描かれるので、そこを読んでただ原発問題に関する情報の仕入れ方だけ学ぶ、なんて読み方でもいいだろうと思います。とにかく、これはあらゆる人に必読な作品

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