雪の練習生(多和田葉子)の書評・感想

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雪の練習生

本書は、3編の短編(中編かな)が収録された連作短編集です。
設定は実に奇妙。なんと主人公はホッキョクグマです。サーカスの花形から作家に転身し自伝を書く「わたし」、その娘で、女曲芸師と伝説の「死の接吻」を演じた「トスカ」、さらにベルリン動物園で飼育係の愛情に育まれ、世界的アイドルとなった孫息子の「クヌート」(ここまでは、帯裏の内容紹介を引用しました。凄くまとまっててわかりやすかったので)。このホッキョクグマ三代の物語が描かれます。

いやいやこれは、ちょっと凄い物語でした。先に書いておくと、ちょっと僕にはレベルの高い小説で、この物語を深く自分の中で消化できているかと聞かれると、全然そんなことはありません。僕は、何度もこのブログで書いていますけど、物語を読む力がやっぱりちょっと劣っていて、ちょっと格調高い小説になると、途端に読み解けなくなってしまいます。本書も、別に難しい小説ではないんですけど、滋味深いというか、格調高いというか、ちょっと僕が読解出来るレベルを超えている作品で、うまくこの作品の良さを伝えられません。
でも、なんだか凄くザワザワさせられる作品でした。僕は、カバーが掛かったまま読み始めたので、作品の設定を知らないままで読み始めました。そうすると、「祖母の退化論」の初めの方を読んでいて、主人公の「わたし」は『自伝を書いている』というのに、その内容が『二本足で立つ』とか『三輪車に乗る練習をする』とかそんな話なわけです。僕はしばらく、全然話について行けなくて実に困惑しました。しばらくしてからようやくカバーを外して帯の言葉なんかを見て、やっと主人公が、何故か人間の言葉で自伝を書くことができるホッキョクグマだ、ということがわかって納得しました。
どっからそんな設定を思いついたんだかわかりませんが、ホントとんでもないことを考える作家だなと思いました。僕は、多和田葉子さんの作品を読むのは本書が初で、だから普段どんな作風の人なのかまったく知らないで読みました。他の作品もこういう感じなのかなぁ。凄く気になります。
話としては本当に、三代のホッキョクグマたち(とはいえ、「死の接吻」は主人公が人間ですけど)の周りで起こっていることを書いているだけという感じで、凄く特別なことが起こるとか、とんでもない展開になるとか、そういうことはありません。淡々と、ホッキョクグマたちが(あるいは調教師が)見たり感じたりすることを書いているという感じです。だから、物語そのものに強く惹きつける何かがあるというわけではないんだけど、それでも凄くザワザワさせられる。
それはなんでかなぁて思うと、ちょっと作品自体を消化しきれていないんで的外れかもですけど、ホッキョクグマでありながら人間でもあるというその身体感覚かなぁ、という気がします。
本書で描かれるホッキョクグマたちは、自分のことをホッキョクグマだときちんと認識しているんですけど、でも普通に人間と喋ったり、文字を書いたりということをまるで違和感なく行なっている。ホッキョクグマであるという認識と、能力的には人間と同じようなことが出来るというその状況が実にアンバランスで、そこが凄く気になるんだろうなぁ、という感じがしました。記憶や感覚なんかも人間そのものという感じで、だけど本書は、『人間と同じことが出来るのに外側がホッキョクグマという存在のアイデンティティ』みたいなものはまるで描かれていなくて、ホッキョクグマであるという認識と人間らしく振る舞えるという事実が共存している。

感想

しかも、ホッキョクグマの認識だけではなく、周りの人間の認識もおかしい。ホッキョクグマが人間の言葉を話したり、会議に出たり、パーティに出席することについて、誰もが疑問を抱くことがない。そこには、共通の了解がある。それが、僕たちの世界とは明らかに異なっていて、凄くザワザワさせるのではないかな、という感じがしました。
自分の読解力がないために、この作品を深く理解出来ないのが凄く残念ですが、これは遠い将来もう一回リベンジしたい気がします。どうにかこういう作品を、ちゃんと隅々まで味わい深く理解できる人間になりたいなぁ、という感じがしました。みたいなことを書いていますけど、別に難しい作品というわけではありません。僕がちょっと、格調の高い作品が得意ではないというだけで、普通に読める小説だと思います。いろんな意味で凄く違和感満載の作品で、こういう変わった作品を書いたり思いつけたりする人は羨ましいです

雪の練習生

雪の練習生

  • 多和田葉子

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