少女不十分(西尾維新)の書評・感想

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少女不十分 (講談社ノベルス)

主人公の<僕>は、50作を超える作品を出版し、20歳から10年間作家としてい続け、他に何が出来るわけでもないけど小説を書くことに関してはやり続けてきたという自負はあるという、そういう小説家です。この<僕>に西尾維新を重ねあわせて読むととても面白いのだけど(本書は<小説>ではなく<事実>だとされているし)、まあもちろんここで書かれていることが、西尾維新が実際に経験したことなわきゃないでしょうね。
本書は、作家になった10年になった<僕>が、何故20代を仕事漬けになるほど小説書きまくったのか、そのトラウマについての物語です。そう、作家になった<僕>には、小説を書いて書いて書きまくらなければならない、そういう衝動にどうしても駆られてしまう、大学時代の苦い記憶があったのでした。
それは、ある交通事故を目撃したことに端を発する。元々交通事故を目撃することが多く、自身も交通事故に遭うことが少なくない<僕>はその日、トラックに跳ね飛ばされてバラバラになった小学生の女の子の姿を目にすることになる。
しかし、この少女が、<僕>のトラウマなのではない。
<僕>に衝撃を与えたのは、轢かれた少女と一緒にいた女の子のことだった。
後々この少女は、Uと名乗る。そう、<僕>はこの少女と接触することになるのだ。
その時Uは、跳ね飛ばされた少女を前にして、まず<自身がプレイしていたゲームをきちんとセーブし>、それから<涙を流してバラバラになった少女の元に駆け寄った>のだった。その姿に、<僕>は衝撃を受けた。なんなんだ、この少女は、と。
しかし、それだけなら、トラウマになるわけがない。
後日Uは、<僕>に接触を図った。
小刀を携えて…。

というような話です。
面白い話だったなぁ。でも、この<面白さ>には、ちょっと説明が必要なのだ。
ごく普通の読者が、この小説を読んで、面白いと感じられるかどうかは、ちょっと疑問だ。
本書は、西尾維新の小説として、なかなか異色だと思う。「小説ではなく事実だ」という体で語られている、という点もいつもと違うけれども、ストーリー展開の異様な遅さとか、恐ろしいほどの登場人物の少なさなど、それまで読んできた西尾維新の小説とは、大分趣を異にする。まずそういう点で、既存の西尾維新ファンにどれだけ受け入れられるだろうか、という疑問がある。まあ、いつもの西尾維新節は相変わらず健在だし、よくもまあこれほど展開が変化しない状況の中で物語を成立させられるものだな、と感心もさせられるのだけど。
また一方で、これまで西尾維新の作品を読んだことのない人が本書を読んで、面白い点を見いだせるかどうか、というのも疑問だ。
本書のような西尾維新語りを楽しんでもらえるならいいけども、そうでなければ本書は、恐ろしく展開の遅い、かつ状況設定が荒唐無稽な小説、というだけの評価になってしまうだろう。それは、ある程度仕方ないと思う。<僕>は、まあ西尾維新の小説ではお馴染みだけど、頭の中でウダウダと思考を展開させることでウダウダするし、そのせいでストーリーはまるで進まない。<僕>が結局どうなるのかを書かないつもりだから具体的には言えないけど、本作はかなり動きの少ない物語で(状況的にそうならざるを得ない)、必然的に<僕>の思考をウダウダ垂れ流すだけの小説になってしまっているのだけど、それが多くの人に受け入れられるかというと、ちょっと疑問だ。

感想

だから僕は、<僕>にもUにも共感が出来るので、本書をとても楽しく読んだ。しかし普通の、ごく一般的な人にはきっと、<僕>やUの気持ちはあんまりわからないだろうと思う。だからこそ、僕のような人間以外の人が読んでも楽しいと思えるかどうかはわからない、と書いたのだ。
そんなわけで、僕には凄く面白い作品だった。でもそれは、ちょっと変わった存在である<僕>やUに激しく共感できてしまうからであって、そうではない人には、本書の楽しさがどんな風に伝わるのか、ちょっと僕には想像がつかないです。そんな感じのことを念頭に置きつつ読んでもらえたらいいかなと思います。

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