環境リスク学(中西準子)の書評・感想

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環境リスク学―不安の海の羅針盤

本書は、2004年に横浜国立大学を退官するまで現役のリスク学研究者であり続け、様々な問題に対して常に<少数派>の立場で(そう望んだわけではなく、その当時のその状況で正しい主張をしようとすると、どうしても少数派になってしまった、というだけなのだけど)、リスクやベネフィットの問題を論じ、また米国で盛んであったリスク学という学問を日本に定着させた(著者略歴が見つけられなかったので、本分を読んだ印象から自分でそう判断しました。少なくとも、行政がリスク学というものを取り入れるきっかけになったのは、この著者の功績のようです)、リスク学というものと一生闘い続けた研究者による、自身の研究の来歴やその成果などについて書かれた作品です。
先にまず、本書の大体の構成を書きましょう。その後、内容をざっとなぞる形で、著者がリスク学というものとどのように付き合ってきたのかという話を書こうと思います。
第一部は、講義内容と聞き取りで、第二部は雑誌やWEBで書いてきた文章の再録です。
第一部の第一章は、著者が退官するにあたり横浜国立大学で行われた最終講義が元になっています。ここでは、ファクト(事実)にこだわり続けた著者が、何故リスク学という未来予測を前提とした学問に行くことになったのか、そしてリスク学が日本で認知されていくまでの長い長い闘いや、その過程で著者がおこなってきた研究内容などについて触れられます。
第二章は、同僚の研究者による聞き取りで、リスク学というものについて、広い視野から、特にこれからの研究者、そして僕ら一般の国民に対してメッセージが伝わる内容になっています。
第三章から第五章までは、その時々で話題になった様々なリスク(環境ホルモンやBSEなど)について、そのリスクがきちんと見定まる前に、リスク学の見地から主張している内容がほとんどです。
著者は第三章から第五章までの文章について、あとがきでこんな風に書いています。

『リスク評価というものは、その時点で言うことが大事です。後になれば、誰でもわかるのです。結果が出ない時に、どのくらい予測できるか、それでリスク評価の価値は決まるのです。まだ、わからない時点で、リスク予測をし、皆の誤解を指摘し、社会に訴える、それこそが価値となります。だからとても怖いことでもあります。ここにあるいくつかの文章を読んで、いつ、どういう予測ができたか、それは後になってどのくらい正しく、どのくらい間違っていたか、つまりリスク評価の”評価”をしていただきたいと思います。その上で、リスク評価をらしんばんとして使っていけるのか、それとも駄目なのかを判断していただきたいと思います。まさに、私の行うリスク評価を遡上に載せる意味で、ここに掲載しました。』

この文章を読んだだけでも、この著者が非常に真摯な態度で研究している、ということが伝わってくるだろうと思います。
では、ざっと内容に触れようと思います。ここではあんまり章別にどうとかという分け方はしないで、思いついたまま色々書いていきます。
まずやはり、リスクとは何か、という話、というか、リスク学は一体どんな学問なのかを書かなくてはいけないでしょうか。
リスクというものについての僕自身の考え方は、後でふんだんに書きたいところですけど、とりあえずそれは脇におきます。
本書では「リスク」というのがきちんと定義されていましたけど、それはまあいいとして(難しいし、僕もちゃんと理解できてないんで)、リスク学というのは結局のところ、

感想

著者は、リスク学の良さだけを前面に押し出しているわけではありません。リスク学というのは政治的に、あるいはマスコミ的に利用されることもあるし、わかりやすい概念は曲解されるたり、そこまでいかなくても重大な誤解を生むことがある、と認識しています。そういう、日本という社会との兼ね合いの中で、それでもリスク学というものをどう有用に組み込んでいくのか、ということをずっと続けてきた著者のあり方は素晴らしいなと感じました。
本書は、内容的に結構難しい部分も含むので、簡単に「手にとって欲しい」とは言い難い作品ではあります。とはいえ、ここで示されている考え方はまさに、放射能という目に見えないリスクと常に直面せざるをえない日本人にとって、非常に有益な視野をもたらしてくれると思います。白か黒かの二分法で物事を見ない、という意識を少しずつ持つようになれる社会になればいいな、と思います。

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