ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」(高瀬毅)の書評・感想

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ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 (文春文庫)

長崎には、原爆の歴史を色濃く残すような遺構が存在しない。
原爆投下から10年後、爆心地近くで生まれた著者は、母から繰り返し被爆体験を聞いたが、浦上天主堂についてはまったく知らなかった。
著者が本書を書くきっかけになったのは、NBC長崎放送に勤める著者の友人が貸してくれた一本のドキュメンタリー。それは、原爆によって半壊し悲惨な姿のまま廃墟となったキリスト教の教会であった浦上天主堂が、戦後なぜ取り壊されたのか、という内容であった。浦上天主堂については、大分以前に耳にしたことがあった著者ではあるが、具体的なことはまるで知らなかった。それをきっかけに、廃墟となった浦上天主堂の写真を見る機会があった著者は、まるで天啓を受けたかのようにこの取材をしなければという思いに駆られた。
長崎に住むものでも、浦上天主堂について知っている人は多くはないという。何故広島の原爆ドームのように保存されなかったのか。
そこには、江戸幕府によってキリスト教が弾圧された際、隠れキリシタンにとっての聖地であった浦上という特殊な土地柄と、アメリカの遠大な世界戦略の存在があった。
この話には、3人の重要な人物が登場する。
一人は、当時長崎大司教区のトップである大司教であった山口大司教。
長崎の浦上に原爆が投下されたことは、本当に様々な些細な要因が積み重なった上の、偶発的な出来事であった。アメリカとしても、キリスト教の真上に原爆を落とすつもりではなかっただろう。
この浦上天主堂のあった場所というのは、キリスト教徒、特に隠れキリシタンにとっては非常に因縁のある土地だった。江戸時代キリスト教徒を弾圧した庄屋の所有していた土地だったのだ。その場所に、教会を立てる。それは彼ら隠れキリシタンにとってはとてつもなく重大で意味のあることであった。長崎大司教区のトップであった山口大司教は、最終的に浦上天主堂の廃墟をどうするか、つまり浦上天主堂を同じ場所に建てるかどうかの権限を持っていたものと思われる。浦上出身であった山口にとっては、同じ場所に建てなおすことへの強いこだわりがあったと推察される。その一方で、アメリカからの何らかの関わりがあっただろうと推察出来る事柄も存在した。
二人目は、永井隆。「浦上の聖者」と呼ばれ、天皇やヘレン・ケラーやローマ教皇までも永井の元を訪れたという、まさに時の人である。
永井は、長崎医科大学物理的療法科部長であり、医学博士でもあった。そんな永井を一躍有名にしたのが「長崎の鐘」という著作だ。この本が当時のベストセラーとなり、長崎の被曝について詳細に書かれた記録として大きな反響を呼んだのだった。
しかし、この「長崎の鐘」の出版にも、アメリカの意向がちらついている。占領当時、出版物はすべてGHQの検閲を受けた。「長崎の鐘」に対する占領軍の評価は二分だったようで、結果的にある条件付きならという形で出版が許された。
三人目は、当時の長崎市長であった田川市長。苦労して弁護士となり、その清廉潔白な仕事ぶりが評価されて市長になった田川は、原爆投下直後から、浦上天主堂保存の意向を打ち出していた。しかし、長崎市がアメリカのセントポール市と姉妹都市になることが決まり(この姉妹都市という形態は、長崎市とセントポール市が世界初)、その記念式典に参加するため田川市長はアメリカを一ヶ月ほど外遊することになった。そして帰国後、それまでと態度を一変させた田川市長によって、最終的に浦上天主堂が保存されないことが決まったのだった。

感想

僕たちは、この浦上天主堂にまつわる歴史を知ることで、長崎というキリスト教の歴史を内包する特殊な土地について、そしてアメリカという国の遠大さを知るべきだろうと思う。原爆投下という、日本の歴史においても非常に重大な出来事について、たった50年で忘れ去られてしまう歴史がある、という事実に、もっと驚愕すべきだと思う。僕は「歴史」というものが好きではないのだけど、それはこういう怖さがあるからだ。伝わるべきことがちゃんと伝わらず、改ざん・隠匿された歴史が色濃く残っているだけなのではないか、と。現代史でも、このありさまである。
長崎に住む人であっても知っている人は多くないだろうというこの出来事。このままでは、早晩埋もれてしまう歴史だろう。本書を読むかどうかは、あなたに任せる。けど、こういう事実があったという記憶だけは、ずっと持ち続け、そして下の世代にも伝えていって欲しいと思う

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